42年の人生のしがらみにより、本日お店を閉めました。

ブエコ

2024年04月03日 22:30





自己肯定感の低さは判断を鈍らせる。


本日4月3日、今日という日は午前9時すぎに鳴り響いた津波警報からスタートした。
台湾付近での地震による津波の影響が沖縄にもあるかもしれない。即時の避難を促す警告のアラートが携帯から何度も発せられた。

20人ばかりが働くブエノチキン。津波警報が出たところで、地震の強い揺れが起きたわけでもない。
近隣の保育園や大きな事務所は建物の屋上に避難しているのが見えたが、我が店舗は通常通り仕込みをしたりチキンを焼いたり、オープンの準備をしたりと日常通り進んでいた。

社鳥である私は娘と息子を引き連れて皆にもしもの指示をして回りながら、津波警報が解除されるまでの予約を止め、いつでも皆が逃げられるよう手配を進めた。横ではずっと6才の息子が「こーわーい!」とひっついてくる。


その時に思ったのだ。

スタッフの家族、特に子供たちは不安だろう。そして、不安な子供のそばに飛んでいけない親であるスタッフもまた、不安だろう。


よし、じゃあもう、帰ろう!!!!!子供のそばに飛んで帰そう!!!!


そう思ったのだ。


その瞬間は、津波警報も解除され、街は平和な空気をトリ戻しつつあったが、「次の地震が起きて津波警報が鳴る可能性」はゼロではない。そのハラハラを抱えながら営業すること、万が一、次に警報が出て皆が帰るその時は道が渋滞するだろう。不安で胸がはち切れそうでたまらない子供の元に帰るまで、渋滞でかなり時間がかかってしまうかもしれない。今日の分の売上を確保するためにそんな気持ちを犠牲にすることは、あまり豊かではない人生に思えた。


東日本大震災が起きたときも、何時間もかけて出社した人たちがいたという話を聞いて衝撃を受けた記憶がある。仕事に責任を持つことはとてもとても、とても大事であることと同時に、命をかけるほどの大事な仕事はブエノチキンにはないと思った。

自然は怖い。侮ってはいけない。

例えなにも起きなかったとしても、子供がお母さんが駆けつけることで安心すること、お父さんが帰ってきて家族が揃って安心できること。その安心を担保することこそ、会社が提供できる最大の配慮だと思った。仕事よりも何よりも、自分を優先してくれる存在がいることを、子供達に感じてほしかった。


そうなのだ。私はその存在を感じられない子供時代を過ごしたのだ。父母からの愛情はもちろんあったはずだが、なんせ私が幼い頃は売れないチキン屋だ。両親が夜遅くまで働いていたので私は日常的におばあちゃんの家に預けられていたし、怪我をして病院で手術した日も、母はさっさと仕事に行ってしまった。あれはデージなトラウマだ。そんな幼少期を過ごしたものだから、私の心理的安全性と、そこから培われる自己肯定感はだいぶ欠如したまま大人になってしまい、30代まではだいぶ苦労した。

だからこそ、「不安で不安でしょうがない時に、ずっとずっとそばにいてくれる親」というものを人一倍、人生で必要な要素と感じてしまうのだろう。今日の決断に至ったのだ。



たとえなにも起きなかったとしても、今日、家に飛んで帰ったお父さん、お母さんが子供たちを抱きしめ大丈夫だよと言う時間が子供の安定した精神を作り、安定した精神の子供が安定した人生を歩むことで政治が介入しなければならない非行や福祉が減るかもしれないし、だとしたら私たちが将来払う税金も減る、かも、しれない。


ブエノチキンの1日分の売上は飛んだが、50年後の税金は減らせたに違いない。

うむ、おっけい!!!

いま私を愛すしてくれる家族のおかげで自己肯定感は安定したが、

高すぎる自己肯定感もまた、判断をおかしくしているかもしれませんなあ(笑)


トリあえず平和な夜である。世界中の人たちがいろいろな大変さを抱えながらも、大事な人と豊に過ごせることを、本当に願っている。




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